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2001.09.03
Daily Clipping 2001.09.03

あの、更新頻度はとりあえず、続けることを優先ということで、まあ・・・

Painting software's brush with realism
http://www.newscientist.com/news/news.jsp?id=ns99991220
これまでペイントソフトは「見栄え」を本物に近づけることを目指してきたが、技術者たちは書いているときの筆の感触などをシュミレーションすることを目指している。(NewScientist)

この記事を呼んで思い出したことがある。
僕は副業(「心の本職」とも言う)で舞台美術をやっているけれど、平日にサラリーマンに戻って(スーツを着て)街中を歩いているときに、不意に「材木の匂い」がしてくると、ふっと心が落ち着いたりする。それで、「ああ、湿ってるなあ」とか「杉材だねえ」とか思うわけだ。実際にその木材を見なくても匂いをかいだだけで、ほとんど無意識にそういう「感じ」がする。

この喚起力ってのはかなりすごいものがあって、すぐに湿った材にのこぎりの歯を入れたときの感触とか、杉材を肩に担いだときの感じなんかを手に感じたりするわけだ。絵を描かないので、上のインターフェイスが優れているかどうかはよく分からないが、こういう喚起力を現在のペイントソフトが持っていないのは、誰もがみとめるところじゃないだろうか。

何も「油絵具の匂いを出せ」っていってるんじゃない。ペイントソフトはペイントソフトのリアリティを追及すべきなんじゃないだろうかってことだ。ハプティックデバイスでキャンバスの上を走る筆の感触を再現したとはいえ、絵具の乗った所と乗ってないところ、絵具の乾いたところとまだ乾いていないところ、すでに描かれた部分のタッチなんかでも筆の感触は変わるはずだけど、全部再現しているんだろうか?あるいは、仮に再現しているとしたら、目で見た情報(画面の中のピクセル)と指への感触を統合して「油絵を描く」という行為が再現できるだろうか?

これは勘でしかないんだけれど、それは結局「油絵とは違う何か」になるんじゃないかと思う。絵筆をマウスに持ちかえる時の壁の高さは「感触」のリアリティを上げても低くなることはないんじゃないだろうか。いや、逆になんとなく高くなりそうな気がするなあ。

ある道具を使いこなすためには、その道具の心的イメージがユーザーの中に造られている必要がある。本当に「慣れた」道具ならその心的イメージは限りなく無意識のレベルにあって、その行為と同化しているはずだ。そこに新しい道具が与えられると、ユーザーは既存の心的イメージを微調整したり、新しいイメージを一からつくりなおす(初めてキーボードを触ったときを思い出そう)。さて、このペイントソフトの場合、明らかに平筆を面相筆に持ちかえるよりは敷居が高い。逆に鉛筆をキーボードに変えるよりは敷居が低そうだ(それぐらいには「似ている」はず)。こういう場合ユーザーはどっちを選ぶだろう、既存のイメージを修正するか、あるいは新しくつくりなおすか。

これはただの憶測に過ぎないが、「油絵作家が自分のタッチをモニターの中に再現する」のはとても大変なんじゃないだろうか(逆に「作風」はそんなに難しくないはず)。ユーザーは一筆一筆、なんども繰返しながら、自分の動きがどういうタッチを生むかを身につけていくはずだ。どれくらい「筆」を動かせばどれくらいの線が描けるのか、動かす速度や角度、それに対するフィードバックの感じ。そこで行われているのは「油絵を描く」という行為をコンピューターの中に置きかえるのではなく、「モニターの中の絵」という新しい心的イメージを作ることじゃないだろうか?そのモニターの中の絵を油絵のタッチに似せるかどうかはその後の問題だ。

こういう学習過程において「キャンバス」をシュミレートすることにどれくらい意味があるだろう?重要なのは、描いたものに対する適切なフィードバックを返してあげることだし、たとえばそれはマウスパッドの引っかかり程度のものでも充分かもしれない。「カンバスに絵を描くこと」と「モニターの中で絵を描くこと」が同じではない以上、過剰なリアリティは学習の邪魔になりそうな気がするんだけど、どうなんだろう。

なんとなくこういうデバイスって、人間の適応力を過小評価しているような気がするんだよね。まあ、平たく言ってしまえば、「絵の描ける奴は何を使ってもちゃんと描けるし、絵の描けない奴は何使ってもだめだ」ってことになるんだろうか?絵の描けない僕としては、寂しい限りだけど。


あちらこちらで、なんとなく引っかかる記述があるので・・・

■一酸化炭素についての覚え書き■
一酸化炭素は酸素に比べてヘモグロビンとの親和性が250〜300倍も高い。そのため一酸化炭素を含む空気を呼吸すると、一酸化炭素が血中のヘモグロビンと結び付き酸素欠乏を起こす。これが一酸化炭素中毒。

酸素の代りに一酸化炭素が「吸収」されているため、「息が出来なくなる」のとは根本的に違い、「酸素がないぞ」という体反応が起きない。つまり患者は「苦しい」と感じずに、いきなり意識を失うことになる。これが一酸化炭素中毒のとても怖いところ。だいたい、一呼吸か二呼吸ぐらいで意識を失う。

ちなみに「黒い煙」はただの「すす」(有毒ガスも黒い煙とは別物、同時に発生はするけどね)。一酸化炭素は無味、無臭、無色の気体。煙が出てなくても一酸化炭素中毒にはなる(プロパンガスとかLPガスの不完全燃焼とか)。

空気よりも若干軽いので、姿勢を低くすれば多少は防げるかもしれない・・・。

■補足■
上の『Painting software's brush with realism』に関連して
友人の石川さんが補足をしてくださっている。

『リンクとか備忘録とか日記とか』2001.09.04
http://homepage.mac.com/vm_converter/diary.html
そう、人のナグリ(とんかち)は見なくても握った瞬間に分かるんですよね。何が違うって言うわけじゃないんだけど。人のナグリだとなんだか「いやーな感じ」がする。

友人の藤井さんがさらに補足をしてくださっています。ありがたきこと。
http://www.u-struct.com/diary/view.cgi



by isana kashiwai