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Feb. 06 2003
宇宙飛行士という仕事

追悼式典でのブッシュ大統領演説全文(SpaceFlightNow)
http://spaceflightnow.com/shuttle/sts107/030204bushmemorial/
STS-107のクルーを一人一人をエピソードと共に紹介しながら、彼らを讃える内容です。相変わらず、こういうのは上手いですねえ。ただ、彼が話しているとなんだか裏の意図があるような気がしてしまうのは困ったものですが・・・。当然アメリカ政府としては、彼らを「国家の英雄」にするのが目的なんでしょうけど。


僕は彼らを英雄視するのは、あまり好きではありません。

彼らが英雄なのは、彼らが死んでしまったからでしょうか?あるいは、全ての宇宙飛行士は死を賭してまでフロンティアに挑戦する英雄なんでしょうか?なんとなくですが、僕はそうじゃないような気がします。彼らがリスクを知っていたことは事実でしょう。それを知らずに、危険に赴くのはただのバカです。でも、それは彼らが英雄であることの証明ではありません。もちろん、英雄はなるものではなく、作られるものです。でも、彼らを英雄視することは、どこかで彼らを冒涜することのような気がするんです。

この数日間やっと落ち着いて、まず開いた本がありました。それはサン・テクジュペリの『人間の土地』です。我々がなぜあそこに行かなければいけないのか、なぜあそこに行きたいと望むのかを考え始めた時に、まず思いついたのがこの本でした。まあ、この本は個人的に「生まれてこのかた一番好きな本」だったりするので、たまたまというわけじゃないんですけどね。

知っている人も多いでしょう、「星の王子さま」のサン・テクジュペリが自らの飛行士としての体験を書いたエッセイです。1930年代、郵便航空の黎明期に空路を開拓しながら、郵便物を空輸していた人々のエピソードがちりばめられた、とても美しい本です。

当時、飛行機はまだとても信頼性が低く、飛行中にエンジンが止まることもしばしばでした。もちろんGPSなどありませんし、レーダーもありません。ナビゲーションはコンパスと地形を頼りに地図を見ながら行っていました。彼らのほとんど全員が不時着を経験しています(サンテクジュペリ自身も何度も不時着を経験しています)。幾人かは無事戻り、幾人かは二度とかえってきませんでした。

彼らを支えていたのは、無謀な冒険心や虚栄に満ちた英雄願望ではありません。彼らが「成功」しても誰も讃える人はいません。ただ、郵便が無事に届くだけです。彼らが「失敗」して死んだとしても、彼らを讃えるのはごく一部の身内だけだったはずです。

冬山に不時着し、吹雪の中を身一つで何日間も彷徨うような思いをしたり、水も無く砂漠の真ん中に不時着して飢えと渇きで死にそうになったり。そんな経験をしても、彼らは体の傷が癒えると、また出かけていきます。かの本にはその理由がちゃんと書いてあります。「彼が帰って来るのは、いつもきまってふたたびまた出発するがためだった」

彼らは、非日常に向かって突き進んでいった冒険者ではなかったんじゃないでしょうか?彼らは、僕たちに先んじて、あそこを日常にしようとしていた人たちです。「宇宙飛行士」は勇者の称号ではなく、まず、ひとつの職業の名前です。もちろん、彼らは勇気ある人々でしょう。でも彼らが賞賛されるべきはその勇気ではないような気がします。


ちょっと長くなりますが、もう少し「人間の土地」から引用をしましょう。

「なんと呼んでいいか、適当な名称の見当たらない美質がある。それは<慎重さ>と呼ぶべきかもしれないが、しかしこの呼び名はまだ十分でない。なぜかというに、この美質は、世にもにこやかな陽気さを伴いうるからだ。それは一人の大工が、対等の気持ちで、自分の木材と向かいあい、それを撫でさすり、寸法を測り、かりそめならず扱って、自分の気力の全てをそれに注ぎ込むあの気持ちなのだ。」

「人間であるということは、とりもなおさず責任を持つことだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは、自分の石をそこに据えながら世界の建設に加担していると感じることだ。」


そう、それでも、彼らはあそこへと赴き、夢と希望を語るでしょう、自らの経験と職業として。ぼくは、その彼らのプロフェッショナルとしてのプライドに最大限の敬意を払いたい。未来を自分の手元に引き寄せようとする、彼らの想像力と意志を尊敬したいと思います。


(Feb. 07 2003 updated)

by isana kashiwai