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Mar. 07 2003
Changing Words‚ Changing World

英語の「乱れ」はケータイのせい?(ZDNET)
http://www.zdnet.co.jp/news/0303/04/xert_sms.html
英国で、ある少女が書いたエッセイが携帯メールの省略英語で書かれていたため、先生が読むことが出来なかった。
若者世代の英語が乱れている。ああ、嘆かわしい、というお話。

海外のニュースで、もう少し長い引用を見つけたので、紹介しましょう。
http://www.sundayherald.com/31826

原文
My smmr hols wr CWOT. B4‚ we usd 2 go 2 NY 2C my bro‚ his GF & thr 3 :-@ kds FTF. ILNY‚ its gr8.
Bt my Ps wr so {:-/ BC o 9/11 tht they dcdd 2 stay in SCO & spnd 2wks up N.
Up N‚ WUCIWUG -- 0. I ws vvv brd in MON. 0 bt baas & ^^^^^.
AAR8‚ my Ps wr :-) -- they sd ICBW‚ & tht they wr ha-p 4 the pc&qt...IDTS!! I wntd 2 go hm ASAP‚ 2C my M8s again.
2day‚ I cam bk 2 skool. I feel v O:-) BC I hv dn all my hm wrk. Now its BAU ...

標準英語訳
My summer holidays were a complete waste of time. Before‚ we used to go to New York to see my brother‚ his girlfriend and their three screaming kids face to face. I love New York‚ it's a great place.
But my parents were so worried because of the terrorism attack on September 11 that they decided we would stay in Scotland and spend two weeks up north.
Up north‚ what you see is what you get -- nothing. I was extremely bored in the middle of nowhere. Nothing but sheep and mountains.
At any rate‚ my parents were happy. They said that it could be worse‚ and that they were happy with the peace and quiet. I don't think so! I wanted to go home as soon as possible‚ to see my friends again.
Today I came back to school. I feel very saintly because I have done all my homework. Now it's business as usual...

すばらしい、この圧縮率。半分以下に縮んでるじゃないか。慣れればそれなりに読めそうだし、「baas & ^^^^^」とか「:-@」=「screaming」なんて秀逸(90度横倒しに見れば分かります)。

この手の話は大好きなので、ちょっと理屈っぽい話をしましょうか。

そもそも、言語はメディアが進化させてきたものです。すでに日本語にもメール文体なんていうものが存在しているように、言語とメディアは相互作用しながら加速度的に進化していきます。携帯メールというきわめて限定の多いメディアが新しい言語を進化させるのは、当然のことでしょう。メディアの変化は言語と思考に有形無形の変化をもたらします、そして、言語と思考の変化は再びメディアにフィードバックされ、メディアはさらに変化を遂げます。こうやってメディアと言語と思考はスパイラルを描きながらどんどん変化していくんです。

たとえば、「写本」の頃なんて、英語そのものもぜんぜん違っていた上に、文字の区切りも、カンマもピリオドも段落もありませんでした。いまの英語の形は、印刷技術が成熟期に入った頃に、印刷業者たちが「自分のところの本の方が読みやすい!」って言うために、熾烈な開発競争をやった結果できたものなんです。目次もそう、索引もそう、ページ番号もそうです。

たとえば、キリスト教の『主の祈り』を例に取りましょうか。そう「天にまします、我らが父よ・・・」というやつです。

今のはこうです
Our Father who art in heaven‚ hallowed be thy name.
Thy Kingdom come‚ thy will be done‚ on earth as it is in heaven.
Give us this day our daily bread.
Forgive us our trespasses‚ as we forgive those who trespass against us.
And lead us not into temptation‚ but deliver us from evil. Amen.

これが14世紀だとこんな感じ(英語です)
OUREFADIRTHATARTINHEUENESHALWIDBETHINAMETHIKYNGDOMCUMMETOBETHIWILLEDONASINHEUE
NANDINERTHEGIFTOVSTHISDAYOUREBREEDOUEROTHERSUBSTAUNCEANDFORGEUETOVSOUREDETTISA
SWEFORGEUETOOUREDETTOURSANDLEEDEVSNATINTOTEMPTACIOUNBUTDELYUEREVSFROYUELAMEN

これは1384年のウィクリフ派聖書で、ラテン語から英語に訳されたもの。当然、手写本です。サイズは今の新聞ぐらいを想像すればいいでしょう。主の祈りには、いくつもバージョンがある上に、もう現代の26文字では出せない文字があるので(一部の単語に含まれる「G」が今の英語にはありません)、あくまで雰囲気ですが、まるで違うということは分かると思います。

この頃、単語や文を区切るのは読み手の仕事でした。見ての通り「読む」という行為そのものが現在とは全く違います。この頃の「文字が読める」という能力は、この文字列の中から単語と意味の区切りを適切に切り出して、それを発音できるという能力を含んでいました(「黙読」は印刷以後の「発明」です)。それが、印刷技術が生まれ、読むことが大衆化していく中で、書物が商品化され、業者が競って読みやすさを追求したあげくに、現代人の「読み書き能力」は著しく低下してしまったわけです。ああ、嘆かわしい。

このとき形成された単語、文、段落、節、章というメディアの形態は、その読み書きを通じて、人間の思考方法に強烈な影響を与えました。個人的には、西洋的な論理思考のある部分はカンマとピリオドの発明が作ったんじゃないかと思います。


じゃあ、もう一つ例をあげましょうか。今度は日本語の話です。考えてみれば当然のことですが、日本語が横向きにかかれるようになったのは明治以降です。「日本のグーテンベルグ」本木昌造が正方形の活字を作るまでは、基本的に日本語は横向きにかかれることはありませんでした。日本人は、日本語が横にも書けるということを、つい最近「発見」したんです。

日本語の文字は多くの場合、ストロークが左上から右下ないし真下に抜けていきます。これは日本語が縦に書かれていた頃の名残です。さて、ちょっと自分の名前を縦書きで書いてみてください。かなり違和感を感じませんか?そう、いまや日本語は「横向きに書かれる言葉」なんです。

国語の時間に「日本語は縦に書くものだ」といわれて、大学ノートを無理やり縦書きで使わされたのを思い出しますねえ。いまや自分の名前でさえ縦に書くことはほとんどありません。はがきや封筒の宛名も横書きのほうが多いんじゃないでしょうか。

この変化は、さかのぼっても10年程度、せいぜいここ数年のものです。かように言語は変化しつづけているものなんです。「日本語の乱れ」「失われゆく日本語の伝統」なんてものは幻想にすぎません。そんなものは存在しないんです。平均的日本語って、どの時代のどれのことですか?NHKのアナウンサーマニュアルに載ってるやつかな?

縦書きから横書きへの変化が思考にどんな影響を与えているのか、はっきりしたことは分かりません。でも、一つだけヒントがあるとすれば、おそらく横書きの本からは、『見開き一ページ』という日本語特有のサイズ感は失われるはずです。現に英文にはそんなものはありません。あれは2ページです(two-page spread/double spread)。

さらにいえば、メールというメディアからはすでにページという感覚は消失しました。WWW上のテキストも、ページという単位はすでに紙とは全く別なものです。ワープロソフトで文章を書いている人は、まだかろうじてページという感覚を残していますが、私を含めエディタを使っている人は、その感覚はすでにほとんどないでしょう。

言葉や思考は、こうやって変わっていくんです。


冒頭に上げた少女のエッセイは、携帯のあの限られた表示エリアに、可能なかぎりの情報量を詰め込むために、ありとあらゆる工夫の跡があります。素晴らしいとしかいいようがありません。単語は識別できるギリギリまでシェイプされ、文脈に依存した省略や音声の一致による省略などがかなり大胆に行われています。これは、あきらかに英語が変化してきた歴史の延長線上にある変化です。まあ、彼女は「相手によって文体を使い分ける」というマナーを、なるべく早く身につけるべきだとは思いますけどね。

(Mar. 07 2003 updated)

そういえば、大昔に似たような話をしていましたね
>>高解像度小サイズの液晶ディスプレイ(Junkyard Review)

(Mar. 07 2003 updated)

by isana kashiwai