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Jul. 22 2003
風車のある風景

一年ぶりに、三浦半島に風車を見に行ってきた 。→前回
今度はUnderconstructionの太洋さん、One Night Stand "Studio-S"のinoshoさん、m's sideのmasaと一緒に、inoshoさんの真っ赤なPeugeot 205 GTIで行く。inoshoさんの愛車は、小さいくせにパワーがあって、ゴーカートみたいにきゅんきゅん走る。いい車です。ちょっと車が欲しくなったよ。

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さて、1年半ぶりの宮川公園。前日までの天気予報の「降るぞー、降るぞー」の声も嘘のように、景気良く晴れている。暑い。風はさほど強くはないけれど、あいかわらず2機の風車はよく回っていた。なんてきれいな機械なんだろう。



2度目だけれど、やっぱりその存在感に圧倒される。まず、なにより大きい。海を見下ろす丘陵地帯、ほかに大きいものがほとんど何もないために、余計大きく見える。ローターの直径が30メートル、塔の高さが35mだから、大体高さが50mぐらいか。街中ではさほど大きくは感じないサイズだけれど、こういう場所だとずいぶん違って見える。しかも、巨大な3枚のブレードが結構なスピードで回っている。かすかな発電機のモーター音と、ローターの風切り音がするだけで、殆ど音はしない。

前回、風車を見たときは、何となく廃墟に似た印象を受けた。今回は晴れていたせいもあって、そこまで終末的な感じはしない。でも、あの強烈な疎外感は相変わらずだ。見る人の存在を否定してしまうような存在感。こういう存在感を持った物体は日常生活ではあまり見ることがない。近頃の巨大観覧車なんかに比べればずっと小さいし、遊園地に行けばもっとダイナミックに動くものはたくさんある。でもこれはああいうものの存在感とはまったく違う。暴力的なまでの存在感とでも言おうか。

そう、この風景には人がいらない。それがきっと遊園地との違いだ。この風景を成り立たせるために、必ずしも人がそこにいる必要がない。たとえ世界から人がいなくなっても、なにも変わらず、この風車は回り続けるんじゃないか、そんな気がしてくる。もちろん現実には、メンテナンスが止まればさほど時間がかからずに、モーターが錆び付き、FRPのブレードが劣化して、風車は止まるはずだ。そういう意味では、この風景もまた人によって創られていることは間違いない。それでもなお、この風景は人の世界からとても遠いところにある。

ただひたすら風を受けて回ることだけを考えて作られたこの物体は、人に対して何処までも無関心だ。人に対して媚びていないなんていう次元を超えた、ただの無関心。と、ここまで考えて、普段身の回りの風景がいかに人に寄り添っているかに思い至ってずいぶん驚く。人工物のある風景というのは、基本的に人に優しく出来ている。それが木や土から出来ていようと、鉄とコンクリートから出来ていようとあまり関係がない。人工の風景は、みんなそこに人が居て初めて風景として成り立つものばかりだ。でも、時に人は、まったく自らを必要としない風景を創り出すことがある。人からも、自然からも遠く離れた風景。巨大なプラントや、山奥の貯水池、大深度地下の排水路、加速器のトンネル、電波望遠鏡のパラボラ・・・。

そうか、なんとなく自分が風車に惹かれる理由が少し分かったような気がする。

首が痛くなるのも忘れて、ただひたすらまわり続ける風車を見上げながら、ぼんやりそんなことを考えた。目を降ろすと、風車の下の公園では、親子連れやカップルが、この「誰も居ない風景」の中で、思い思いに風車を見上げていた。なんだか、とても不思議な光景だ。

(Jul. 22 2003 updated)

ぜひ、太洋さんのUnderconstruction by Taiyo@hatena:風車も参照してください。

(Jul. 23 2003 updated)

by isana kashiwai