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Aug. 11 2003
神の視座、羊の視点

ご無沙汰しています。久しぶりに本を紹介しましょう。

ビョルン・ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』(amazon)

平たく言ってしまえば、「みんなが思っているほど、地球環境は危機的な状況にあるわけじゃない」という本。色々な意味で、目からうろこが落ちる。作者の主張は、こんな感じ。

「充分とはいえないけれど、これまで僕たちがやってきたことは、決して無駄ではなかったし、それなりの効果は上げている。もちろんリソースに限りはあるし、じゃんじゃん使うわけにはいかないけれど、逆に事実を捻じ曲げてまで危ない危ないと叫ぶのはどうかと思うぞ。ちゃんとデータを比べてみれば、早々状況は悪くないことがわかるはずだ。正しく現状を認識した上で、次に何をするべきかを考えようよ」

作者はひたすらデータとその分析から、環境危機論者の言葉を一つ一つ検証していく。それにつれて、僕たちが無自覚的に信じてきた「事実」がぼろぼろと剥がれ落ちていく。統計は時に真実を隠すことがある。そう、確かに僕たちはペシミスティックな論調は検証もせずに信じる傾向がある。石油はもう少し持ちそうだし、森林破壊もスピードが落ちた。飢餓も貧困もずいぶん解消した。状況はそんなに悪くない。そんなに卑下することはない。

やたらページ数があって(しかも上下2段組)、値段が高い(\4500)ことを除けば、とてもいい本。この分野にちょっとでも興味があるなら、読んでおいて損はないと思う。


でも、この本を読みながら僕が考えていたのは、もう少し別のことだ。

統計学は、あたかも鳥瞰図を描くように、物事を少し高いところから見渡して全体像を描いてみせる技術だ。余計なノイズを削ぎ落とし、物事の形と動きをずいぶんはっきり見せてくれる。あるいは、こう言い換えようか。統計は神の視点を手に入れる方法なんだ。そして、この視点はずいぶん気分がいい。たくさんのことを知っているような気がするし、遠くまで見通せるような気にもなる。でも、ここはなんとなく居心地が悪い。僕がずっと気になっていたのは、この居心地の悪さのほうだ。

「ドライバーの70%〜90%が自分は平均以上の運転技術を持っていると思っている」

この本の中でも引用されている、有名な統計学の笑い話。この人の悪いジョーク(本当の話らしいけどね)を聞く時の引きつった笑いが、統計学の皮肉を教えてくれる。僕たちは、統計結果を評価・検討している神の視点をもつと同時に、その統計の要素の一つとして、その結果の内部に組み込まれてしまっている。そして、この神の視座からみえる風景と、あまたいる羊の視点から見える風景はずいぶん違う。僕たちはその両者の間で引き裂かれ、ただひたすらうろたえる。

たとえば、ペットボトルのリサイクルは本当に環境負荷が低いんだろうか?確かにゴミは減るかもしれない。でも、リサイクルするということは、つまり何らかのリソースを消費しながら再加工することに他ならない。その消費が、ただ「埋め立てる」ことの環境負荷を上回らないという保障はどこにもない。あまりにもファクターが多すぎてその両者を比べることはとても難しいけれど、ただ埋め立てるだけならば、リソースの消費も、環境汚染も局所的なものにとどまるし、対策だって取れるだろう。リサイクルするためには、人件費をかけ、工場を運用し、エネルギーを消費しながら再加工することになる。新たな需要を生む可能性は充分にあるが、本当に環境に優しいかどうかは誰にも分からない。

たとえば、目の前に油まみれの海鳥がいたら、心を砕いてどうにかして救いたくなるのが心情というものだろう。でも、もしかしたら、かの一匹を救うためにかけられるコストは、他の場所、他の鳥たち100匹を救うコストより高くなってしまうかもしれない。ならば、僕たちはあの一匹を見捨てるべきなんだろうか?一人の命は星よりも重い、なんていう話をするつもりはこれっぽっちもない。死者が10人で済む方法と、死者が100人出る方法なら、迷わず前者をえらぶべきだ。でも、神ならぬ僕たちは、そこでふと立ち止まる。他に方法はないんだろうか?

立ち止まることでは何も生まれないことは充分知っているつもりだけれど、でも、何となく、これはとても正しい態度のような気がする。僕たちは、複雑すぎる世界と、大きくなりすぎた自分たちの力と、あまりに小さい自分自身の力の間で戸惑っている。でも、この戸惑いは正しい。確かに、信じることは重要かもしれない。でも、自分が間違っているかもしれないという問いかけを忘れてしまうのはあまりに危険だ。環境破壊という悪を駆逐することで、理想的な世界がやってくるという勧善懲悪の幻想はそろそろ意味を無くしてしまっている。環境問題が経済や社会のバランスというレベルでしか根本的な解決ができないとすれば、誰もが今すぐハッピーになる方法は、そう簡単には見つからない。

以前にも書いたことだけれど、「かわいそうだから」という一心で、釣ってきたブラックバスを湖に流すことが倫理的に間違っているということを理解するところから環境問題への理解が始まるんだと思う。環境破壊が悪意から始まっていた幸せな時代はもう終わってしまった。そう「善意は時に暴力に変わることがある」。それが、自らを疑うことを知らない善意ならなおさらのことだ。

僕たちはこの本が見せてくれる「居心地の悪さ」とうまく折り合っていく方法を見つけなきゃいけない。ただの美しいスローガンではなく、本当に「一人ひとりが地球のことを考える」つもりがあるのなら、共有すべきなのは危機感だけじゃないはずだ。

この本は、羊の視点を持った僕たちがどう行動すべきなのかについては、これっぽっちも教えてくれない。ただ「貴方が信じていることは、間違っているかもしれない」と問い掛けるだけだ。でも「悔い改めよ、正しく生きよ」としか言わない凡百の環境本が教えてくれないことを、この本は教えてくれる。


(Aug. 11 2003 updated)

by isana kashiwai