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Apr. 16 2005
「想う」という技術について、あるいは5年目のいいわけ

僕たちはずっと「思ったことを思ったように、自由に書きなさい」と言われて育ってきた。自分を素直に表現することが「すばらしい表現」なのだと。でも、よく考えてみて欲しい。僕たちは普段そんなに自分に対して素直でいるだろうか?そもそも、僕たちは自分の感じていること、思っていることについてそんなにはっきりとした意識を持っているだろうか?実は、僕たちは誰かに語ることで、あるいは誰かの言葉に同意したり反発したりすることで自分の意思を確認していたりしないだろうか?


少なくとも、僕自身の話をするのなら、「自分の想い」や「自分の思っていること」、まして「素直な自分」なんてものはそんなにはっきりとした形をしていない。それこそ暗闇の中で手探りをするように、ひとつひとつ言葉を選びながら確かめていくものだ。あの感動や、ドキドキした気持ちに比べれば、言葉にされた「素直な気持ち」のなんと陳腐でつまらないことか。その絶望的な落差にくらくらしながら、そのドキドキの1%でも残ることを期待しながら、自分の想いを言葉に落とし込んでいく。僕にとって「自分の気持ちを素直に表現する」というのはそういう作業だ。まあ、それはひとえに僕の表現力の無さなのかもしれないけれど...


「自分に素直に」っていう言葉はずいぶん罪作りだと思う。なんだか、それが一番簡単なことのようじゃないか。でも、実はそれが一番難しい。言葉を飾ってみたり、少し物事を斜めから見てみたり、そんなことをしているうちに僕たちはまるで自分が最初からそうやって考えていたかのように自分自身を騙す。そう、まるでそれが「自分の素直な気持ち」だったかのように。


*



なんとなく、この「自分に素直でいることは難しくない」というあまりに無邪気な思い込みが、諸悪の根源であるような気がする。もし、ほんとうに素直でいることが簡単ならば、「僕は今、本当に素直に考えているんだろうか?」という疑問は生まれない。


思い出してみよう、読書感想文の宿題を先生に見せたときに「君が本当に言いたかったことはなに?」と問われたことがあるだろうか?少なくとも僕はない。思ったことを思ったように、自由に書くことが簡単なら、この問いは無意味だ。どんなことが書かれていたとしても、そこに書かれていることが「自分が本当に言いたかったこと」になる。


でも、現実はそうじゃない。僕たちは、むしろ自分の書いた物から「自分が本当に言いたかったこと」を再構成してしまう。僕はそのことにずっと気づかなかった。僕の想いは文章を書き進めるにつれて、元の場所からどんどんズレていく。いや、ズレることそのものは悪いことじゃない。問題は、ズレていることに僕が気づいていなかったということだ。


*



昔、文章を書くことは、マラソンのようなものだと思っていた。スタート地点があり、途中に経由すべきところが何ヵ所かあり、山や谷があって、ゴールに至る。スタートする時はゴールのことはあまりはっきり見えていない。何となくあっちの方向、ぐらいで取りあえず走り出す。そして、ゴールしたときには、スタート地点で考えていたことは覚えていない。大切なのは、ゴールとスタートがどこにあるかではなく、ゴールとスタートが一本の線でつながっていることだ。


今は、少し違う。


文章を書くことは、コンパスで円を描くのに似ていると思う。取りあえずコンパスポイントを決めて、そろそろとラインを描く。先は見えない。中心がずれていないかどうかもよくわからない。でも、うまくいけば、このラインはもう一度あの場所に戻るはずだ。半ば祈るような気持ちで、おそるおそるラインを描く。大丈夫、たぶん、きっと...


*



僕がここに何かを書くのは、自分自身のためだ。自分に素直でいるために、そのためだけに僕はここに飽きもせずにだらだらとくだらないことを書いている。自己満足?そう、100%自己満足だ。


いつか、「君の書いている文章は、なんだか難しくてよく分からないけれど、君がワクワクしていることだけは伝わってくるよ」と言われたことがある。涙が出そうなくらい嬉しかった。そう、僕はそのためだけに書いている。それが僕のたった1つ、唯一のコンパスポイントだ。自分の中に灯った小さな光を消さないように。もし、その光が、ほんの少しでもあなたに見えたのなら。そんなに幸せなことはないとおもう。


(Apr. 16 2005 updated)

by isana kashiwai