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Jul. 31 2006
一方、ソ連は鉛筆を使った。

アメリカのNASAは、宇宙飛行士を最初に宇宙に送り込んだとき、
無重力状態ではボールペンで文字を書くことができないのを発見した。
これではボールペンを持って行っても役に立たない!
NASAの科学者たちはこの問題に立ち向かうべく、10年の歳月と120億ドルの開発費をかけて研究を重ねた。
その結果ついに、無重力でも上下逆にしても水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、
どんな状況下でもどんな表面にでも書けるボールペンを開発した!!

一方、ソ連は鉛筆を使った。


もちろん、ただのジョーク。

アポロ計画の予算は254億ドル(当時)。もしこのあまりに有名なジョークが本当なら、約半分はボールペンの開発費だったということになるし、開発に10年もかけたら月に行くよりボールペン作る方が時間がかかったって事になる(アランシェパードのアメリカ人初の有人宇宙飛行が1961年、アポロ11号の月面着陸は1969年)。さすがにちょっとありえないよね。

ただし、このペンは実在する。この話に出てくるボールペンはフィッシャーのSpacePen。「無重力でも上下逆にしても水の中でも氷点下でも、(摂氏300度までは行かないけれど)摂氏200度でも、どんな状況下でもどんな表面にでも書ける」のが売りだ。確かにこのペンはアポロ計画で公式に採用され、今でも使われている(今ではロシアの宇宙飛行士も使っているらしい)。ただし、フィッシャーはNASAの依頼も、資金提供も、技術的な支援も一切受けていない。彼らはこのペンをNASAとはまったく関係なく開発し、NASAはそれを購入しただけ。

ちなみに、フィッシャーがこのペンにかけたコストは約20万ドル(それでもボールペンの開発費用としては破格の値段)で、開発期間は2年間。

じゃあ、「一方、ソ連は鉛筆を使った」のか、というとこれもちょっと怪しい。確かに、ガガーリンの人類初の有人宇宙飛行の描写には、必ずといっていいほど「使っていた鉛筆がふわふわとどこかへ漂っていってしまった」という描写がでてくる。どうやらソ連も最初は鉛筆を使っていたらしい。でも、本当にずーっと鉛筆を使っていたんだろうか?

実は、無重力で鉛筆を使うのはあまり得策とはいえない。鉛筆の粉や削りかすが船内の空気を汚してしまうし、鉛筆の芯は可燃性で電気を通すので回路の中にもぐりこんだりしたら大変なことになる。実はNASAも最初は鉛筆を使おうとしたんだけれど、こういう理由で諦めたらしい。フィッシャーはこのことを聞いて「じゃあ宇宙で使えるボールペンを作ればNASAに売れるかも」と思ってSpacePenの開発を思い立ったんだそうな。
ref.Urban Legends Reference Pages: Business (The Write Stuff)

実は、NASAは最初シャープペンシルを作ろうとしたんだけど、一本128.89ドルもかかってマスコミに叩かれている。もちろんこれは特注品で、とても丈夫に作られていたし、宇宙服のグローブをつけていても扱えるように工夫がされていた(宇宙でも芯が繰り出せるような工夫もされていたはず)。もちろん、このシャープペンシルも実際に使われている。ちなみに、ジェミニ6号・7号では「内緒で」サインペンが持ち込まれた。内緒にされたのは、129ドルもかけてシャープペンシルを作ったのに、たった0.49ドルのサインペンで充分ということになったら、マスコミから何を言われるかわからないから、らしい。
ref.The billion-dollar space pen(TheSpaceReview)

実はこのとき使われたのは日本の文具メーカー「ぺんてる」のサインペン。その書き味をいたく気に入ったジョンソン大統領が一気に24ダースも注文。そのことがNewsWeekで報道されて有名になり、当時アメリカでちょっとしたブームになったんだそうな。
ref.月刊ぺんてる8月号:宇宙へ旅立ったサインペン

フィッシャーのペンが正式に使われたのは、アポロとスカイラブの時。でも、このときにもSpace Penだけじゃなく、シャープペンシルやサインペンも一緒に持ち込まれている。このペンはあくまで選択肢の一つに過ぎなかった。ちなみに、今でもスペースシャトルには、ボールペン、シャープペンシル、サインペンの3種類の筆記用具が積まれている。
ref. Handbook of Pilot Operational Equipment for Manned Space Flight(NASA via SpaceReview)※PDF

*


じゃあ、本当はソ連は何を使っていたのか?実は、こういう話がある。
ref.Pedro Duque's diary from space(ESA)
これは、2003年にソユーズでISSに向かった宇宙飛行士ペドロ・デュークの日記。ちょっと長くなるけれど引用しよう。

I am writing these notes in the Soyuz with a cheap ballpoint pen. Why is that important? As it happens I've been working in space programmes for seventeen years eleven of these as an astronaut and I've always believed because that is what I've always been told that normal ballpoint pens don't work in space.

僕は今、この日記をソユーズの中で安物のボールペンを使って書いている。何でわざわざこんなことを書くかって?僕は宇宙開発に携わって17年、そのうちの11年は宇宙飛行士として過ごした。僕は、その間中ずっと普通のボールペンは宇宙では書けないという話を信じ込んでいたんだ。

"The ink doesn't fall" they said. "Just try for a moment writing face down with a ballpoint pen and you will see I'm right" they said.

「(無重力だと)インクがペン先に落ちてこない」彼らはそういった。「上を向いてボールペンを使ってみれば、これが正しいのが分かるはずだ」

During my first flight I took with me one of those very expensive ballpoint pens with a pressure ink cartridge the same as the other Shuttle astronauts. But the other day I was with my Soyuz instructor and I saw he was preparing the books for the flight and he was attaching a ballpoint pen with a string for us to write once we were in orbit. Seeing my astonishment he told me the Russians have always used ballpoint pens in space.

だから、最初のフライトの時、僕は圧力のかかったインクカートリッジを使うとても高価なボールペンを持っていった。他のシャトルのクルーとおんなじ奴だ。でもある日、僕はソユーズのインストラクターがフライトマニュアルの準備をしているのを見かけた。彼は軌道上で書き込みができるように、マニュアルとボールペンを紐でつないでくれていたんだ。驚いている僕に、彼はこう教えてくれた「ロシア人はずっと宇宙でボールペンを使っているよ」

So I also took one of our ballpoint pens courtesy of the European Space Agency (just in case Russian ballpoint pens are special) and here I am it doesn't stop working and it doesn't 'spit' or anything. Sometimes being too cautious keeps you from trying and therefore things are built more complex than necessary.

そこで僕はもう一本、ESAにただでもらったボールペンをもっていくことにした(ロシアのボールペンが特別じゃないとは限らないからね)。で、今それでこの日記を書いているんだけど、書けなくなったりしないし、インクがもれることもない。まったく普通に使えるんだ。慎重になりすぎるあまり、試しもせずに必要以上に複雑なものを作ってしまうこともあるんだねえ。


そう、やっぱりロシアもボールペンを使っていた。そして、実は普通のボールペンでも無重力で文字が書ける。

(Aug. 01 2006 updated)

追記:
「今ではロシアの宇宙飛行士も使っているらしい」と書いたけれど、ソ連/ロシアでも実際にSpecePenが使われているみたい。そして、初期にロシアで使われていたのは「Grease Pen」つまりダーマトグラフ(ワックスが含まれた柔らかい芯を紙で巻いたもの)のようです。
The Fisher Space Pen(NASA)

当然ながら、ごく普通のボールペンは熱や気圧の変化に対する耐性がない。NASAやロシア宇宙局でSpacePenが使われているのは、無重力でも書けるからという理由だけではないはず。


(Aug. 01 2006 updated)

by isana kashiwai