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2016-03-11 語られた言葉と語られ得なかった物語について

§ 語られた言葉と語られ得なかった物語について

本題に入る前にまずは本の紹介から。

磯田道史『天災から日本史を読みなおす』(中公新書)(amazon)

本書は、朝日新聞に2013年から2014年にかけて連載された「磯田道史の備える歴史学」を一冊にまとめたもの。著者は史料に残された地震や津波、台風などの災害の記録を丹念に読み解きながら、現代にも活かされるべき知恵や教訓を引き出していく。ひとつひとつの記録は実に生々しく、そして東日本大震災の被災者の方々の証言にあまりに似ていることに驚く。

ここに書かれているのは、我々が今住んでいる場所で、かつて起きたことだ。そして、これから先起きないという保証は全くない。いや、むしろいつか必ず起きるであろうことの予言でしかないだろう。今も昔も、大地は揺れ、津波が起こり、山は崩れる。治水や防災の技術は進んだけれど、僕達一人ひとりに厄災が降りかかった時に取りうる選択肢は決して多くないし、それは今も昔もさほど変わらない。これはきっと傾聴に値する言葉だと思う。

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さて、僕がこの本を手にとったのは、1707年の宝永大震災で起きた津波の記録『柏井氏難行録』が紹介されていたからだ(朝日新聞の掲載時に家族から教えてもらった)。名前を見て、もしかしてと思った向きもあるかもしれない。『柏井氏難行録』を記した柏井貞明は、どうやら僕の遠い遠い親戚らしい。

曽祖父にあたる柏井園は土佐の生まれで、三好源氏に連なる旧土佐藩士の長男だったそうな。土佐には柏井の名前を冠したお城があって、三宮筑後守親庸の次男如光が分家して柏井氏を起こし、ここを居城としたということなので、おそらくこの辺りのどこかに連なっているのだろう。柏井貞明が土佐郡久万村の出で被災後同村に戻ったとあり、柏井園が久万村にほど近い土佐郡旭村の出身だったそうなので、意外と家系は離れていないかもしれない。

『柏井氏難行録』は、柏井貞明が藩主の参勤交代に帯同した際、船上での暇つぶしの昔語りとして、子供の頃に被災した時のことを話したところ、あまりの話に一同驚き、記録に残せということになったものらしい。決して長い文章ではないけれど、最初の揺れから、津波の到来、波が押し寄せる中での避難、避難後の様子などが克明に語られている。

そして、『柏井氏難行録』の中で、貞明が難を逃れたくだりにはこうある。

「予は行手の左なる生垣にのほり流れ来れる板戸にのほらんとして乗得す、忽浪中に沈む、浪中にてたれとはしらず人に流れかゝりぬ、其人の腰刀をつかみとりはつし又とりつきて、はなれしと帯にしつかと取付ぬ、浪中の事なれは誰とはしらず、しかるに其人は家翁なり」

貞明は生け垣の上から流れてきた戸板に乗ろうとして失敗し、一旦は沈んだものの、水中で誰のものだかわからない腰刀を掴み、その人の帯にしがみついた。波の中なので最初は誰だかわからなかったけれど、後に父(柏井実慎)だったと分かる。

この記述の直後には、自分の母(貞明の祖母)を見つけた父(実慎)が、思うように水の中を進めず、仕方なく背負っていた5歳の娘(貞明の妹)を捨て、母を救いに行くという生々しい描写が出てくる。結局、貞明の一家で生き残ったのは、貞明と父と祖母だけだった。

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縁というのは不思議なもので、普段なら胸を痛めながらも一つの記録として読んだであろうこの一節を、自分に引き寄せて考えることを止められない。

実際は、僕が柏井貞明の直系である可能性はほとんどないだろう。でも、もしかしたら、と思う。もしかしたら、300年前の津波で父の帯を掴んだ9歳の少年の手が数センチずれていたら、僕はここにはいないかもしれない。水の中、指先に触れる帯の感触を想像する。あるいは、もがく甲斐なく空を掴む手を。

そして、その数センチの幸運をつかめなかった何千、何万という人たちのことを思う。伝えられることのなかった何千、何万の物語。そこから連なるはずだった何億、何兆もの可能性。

そうした物語をすべて引き受けることはとてもできないけれど、せめて伝えられる犠牲者の数字のひとつひとつに、語られ得なかった幾多の物語があることを、忘れずにいたいと思う。

§ Reference:

柏井氏難行録, 歴史学による前近代歴史地震史料集, 前近代歴史地震史料研究会, 新潟大学
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/handle/10191/32471/

今高 義也, 柏井園と平家物語, 人文学と神学 第8号, 東北学院大学
http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2015/no03.html