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2004-06-18

§ [book] チャールズ・ダーウィン『種の起原』岩波文庫( /amazon)

最近、進化論系の本を読みあさっていて、とりあえず始祖は何を言っているのか知りたくて読み始める。訳が典型的な学者訳でごにょごにょしているのは置いておいて、なかなか面白い。書きっぷりからすると論文というよりエッセイに近い感じ。


少し長くなるけれど、とりあえず思いつくままにメモ。

§ ダーウィンの主張

ダーウィンが言っていることを大雑把に箇条書きするとこんな感じ

・生物にはわずかながら個体差がある。

・その個体差は親から子へと受け継がれる。

・生まれた子供が全て生き残るわけではない。

・個体差には生き残るのに有利なものと、不利なものがある(はずだ)。

・平均すれば、有利な身体的特徴を持った個体が生き残る可能性が高い(はずだ)。

・だとすれば、環境に有利な身体的特徴が世代をへて蓄積する(のではないか)。


注意すべきなのは、「自然淘汰」も「適者生存」も「生存競争」も個体に対する概念だということ。淘汰や競争という言葉は「種」に対して使ってはいけない。同様に「適者生存」と「弱肉強食」はまるで違う概念。進化論に関する大半の勘違いは、ここに起因する。そもそも、『種の起原』はその名の通り、種の多様性はどうやって生まれたかを説明する本。種どうしの関係性を議論の中に持ち込んだらトートロジーになってしまう。個体と環境の関係だけで種の多様性が説明できるというのが、ダーウィン進化論のすごい所。

§ ダーウィンは進化が実際に起きているという実証をしていない

結局の所、ダーウィンは家畜の品種改良の例を挙げて、これが自然界でも起きているはずと言っているだけ。だから"Natural Selection"という用語になる。ダーウィンは、個体差があること、生物が環境に対して見事に適応していることなどについては例証しているけれど、「環境に優位な身体的特徴が蓄積される」という証拠は挙げていない。彼は同書の中で、進化は非常にゆっくりとおこるため観察はできないと主張している。ここは、創造論者にさんざんたたかれている所だけれど、実際の所どうなんや!という方はジョナサン・ワイナー『フィンチの嘴』早川文庫(amazon)をどうぞ。進化はすでに観測された事実です。

§ 「進化」を言い出したのはダーウィンが最初ではない

ダーウィンが『種の起原』を発表する以前から、長い時間をかけて生物が変化してきたとする考え方はあった。全然見た目の違う動物の間に相似があったり、明らかに退化したと思われる器官の痕跡があったり、古い地層から化石が次々と見つかったり。生物の多様性が一発で作られたと考えるより、単純な生物から複雑な生物へという変化があったと考える方が自然じゃないだろうか?こういう考え方は、決してメジャーではなかったものの、考え方としては当時の自然科学者の中に広く浸透していた。そもそもダーウィンのじいさん、エラスムス・ダーウィン(詩人、医者、哲学者、博物学者)も進化論者。自作の詩の中でも「生命は海に生まれ、次第に発達してきた」と書いている。孫のチャールズが彼の主張を知らないはずがない。


Organic life beneath the shoreless waves
Was born and nurs'd in ocean's pearly caves;
First forms minute, unseen by spheric glass,
Move on the mud, or pierce the watery mass;
These, as successive generations bloom,
New powers acquire and larger limbs assume;
Whence countless groups of vegetation spring,
And breathing realms of fin and feet and wing.
Erasmus Darwin. The Temple of Nature. 1802.

ダーウィン以前の進化論者で有名なのは、ラマルク先生(フルネームは Jean Baptiste Pierre Antoine de Monet, Chevalier de Lamarck、長いっちゅーねん)。彼は生物は最も複雑なものを頂点として、最も下等な生物まである階梯をなしていて、生物は下等なものから高等なものへと進化してきたと述べた。ただし、ラマルク先生によれば、単純なものが分岐しながら徐々に種が増えたのではなく、ただ高等なものは古く(つまり年月をへて高等なものに進化している)、単純なものは新しい種(まだ変化の途中)というだけのこと。少し考えれば分かるけれど、ラマルク先生はどうやって生物が変化してきたかを述べているだけで、どうやって種の多様性が生まれたかを説明していない。ダーウィンの『種の起原』というタイトルがいかにセンセーショナルだったのが分かるというもの。


進化の要因として、ラマルク先生が主張したのが有名な「用不用論」と「獲得形質の遺伝」。個体の器官はよく使うものが発達し、使わないものは縮小する。こうして後天的に獲得したものが受け継がれることで進化が起きる。「キリンは高い所の葉を食べようと首をのばしているうちによく使われる首が発達し、その形質が子孫に受け継がれる中でどんどん首が長くなった」という例はあまりに有名。


ダーウィンがすごかったのは、「進化(変化を伴う継承)には方向や目的はない」と喝破したこと。進化はランダムで個体の意思は関係ないし、生命には階梯なんてものはない。彼は、完全にランダムな変異に環境によってわずかな偏りが生じ、長い時間を経てその偏りが蓄積することで種の分化が起きると主張した。だから、ダーウィンはキリスト教文化から猛烈な反発を食らった。だって、生命の多様性は神様抜きで説明できるし、人間は万物の霊長なんかじゃないよ、って言っちゃったんだから。

§ ダーウィンは「進化(evolution)」という言葉を使っていない

ダーウィンが使っているのは「変化を伴う由来(descent with modification)」という言葉(っていうかdescentの訳語は「由来」じゃなくて「継承」のほうがしっくりこないか?※decentには相続の意味がある)。『種の起原』の中に「進化」という言葉は出てこない。これは当時、evolutionという言葉がホムンクルス説の「精子の中の小人が次々と世代交代していくこと」を表す言葉だったかららしい(スティーブン・J・グールド『ダーウィン以来』)。そもそも、「進歩」や「発達」というニュアンスを持つevolutionという言葉はダーウィン進化論とは全くそぐわない。むしろダーウィンは「進化は進歩じゃない、進化には方向なんかない」と主張したんだから。

ちなみに、進化論にevolutionという言葉を持ち込んだのは社会学者のハーバート・スペンサー。「適者生存(survival of the fittest)」も彼の造語。かれは社会も進化するという主張の中で、evolutionという言葉を使った。ただ、スペンサーの進化はダーウィン的な「方向のない進化」じゃなくて、どちらかといえばラマルクっぽい「社会はどんどん複雑なものになる」という考え方。